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2012年 05月 03日
BAD ASS MATCH
学生の頃、地味にマッチを蒐集していた。筋金入りのマッチコレクターの足元にも及ばない、現行品ばかりのユルいコレクションではあった。当時読み耽っていたハードボイルド小説には幾度となく主人公がマッチを擦って煙草に火を点ける描写があり、その格好良さに憧れてのことである。

とにかくレストランやらバーに行けば必ずマッチを頂戴し、カナディアンバーボンが入っていた木箱に納めていた(ちなみに僕はまったくの下戸なのだ)。いつしかそんなコレクション熱も冷め、木箱ごと紛失してしまった。

先日、渋谷駅前の『ヒカリエ』に出店したメガネ屋さんへ取材でお邪魔した折に、オープン前をいいことに他のフロアも見学することに。47都道府県の「レストラン、カ​フェ、宿、観光、買い物、人」をテーマにした展覧会で偶然発見してしまったのが、このマッチ。

なんともレトロなラベルが印刷されたパッケージが琴線に触れてしまったのだが、いくつかある図柄のバリエーションの中から特に心を奪われたのが“アメリカン”と銘打った5箱セットだ。

さらに言えばこの2柄が僕の中でのホームラン王だ。

しゃれこうべは日本でも大正時代から、さまざまなオブジェが作られており、その時代のモノを蒐集しているコレクターもいるという。アナーキーである。

モーターサイクリストにとって永遠のアイコンであるフライングホイールもご覧のとおりレトロな雰囲気を見事に再現している。

久しぶりにマッチを擦って煙草に火を点けてみた。ディスポーザブル・ライターよりも着火に手間が掛かるし、マッチがなくなれば煙草も吸えなくなる。あわよくば節煙にも良いかと現実的なメリットを思い浮かべたが、それよりもマッチを扱う一連のアクションは、自己満足であることは否めないがやはり男らしく感じてしまうのである。しばらく頓挫していたチャンドラーの小説に手が伸びたのも、このマッチの効力なのかもしれない。

# by roadsign-ktb5 | 2012-05-03 23:57 | ACCESORY | Comments(6)
2012年 05月 02日
初音への恋心
日本全国のご当地グルメを簡単に手に入れることができる東京に住んでいても、僕にはあえて現地に行かなければ口に運ばない料理がある。それが“ひつまぶし”だ。

この、何とも魅力的な耳触りの良い料理と出会ったのは10年近く前だろうか。ある雑誌の取材で名古屋を訪ねたとき、現地に詳しいカメラマンの言われるがままに暖簾をくぐったのが『大友』という店だった。後何時間もすれば欲望にまみれたネオンが毒々しい色を放つであろう昼下がりの繁華街。ビルに囲まれた猥雑な空間にそぐわない一軒の古びた木造の店で、僕はひつまぶしと出会った。杓文字を使って櫃から茶碗へウナギとご飯をよそうという変則的な食べ方から、薬味を乗せて味に変化を与えた後、その上にだし汁を掛けて茶漬のように食べるという味の三段活用は、ウナギの蒲焼とほとんど変わらぬ代物だと高を括っていた僕の認識をほんの小さくだが、豊かにしてくれた。

大友で食したあの味が忘れられず、しかし安易に東京で食べてしまうのもそのありがたみが薄れてしまうという想いと、あの味の記憶を大事に仕舞っておきたいという気持ち、そして別の店で食べたときに感じる落胆を慮ると、どうにも手を出しづらかったのである。そして名古屋再訪のチャンスもなく、やがて大友が店を閉めたという噂が耳に届いた。

封印され、埃を被ったひつまぶしの情念が許嫁の故郷、三重県の亀山市でふたたび扉を開けた。ひつまぶしの発祥は諸説あって名古屋であると唱える説と、三重であると唱える説があるが、僕にはどちらでも良いことだ。重要なのは美味いか否か、ということのみである。

先日、許嫁の生家へ僕の両親と子供を案内した。両親は一足先に帰京し翌日に僕と許嫁、そして子供の三人が追って帰京する際に、連れて行ってもらったのが『初音(はつね』という店だった。ここは非常に人気が高く、常に行列ができるのにもかかわらず1日に供される食数は限られており、完売次第閉店するという。席数は結構あると思うが開店と同時に埋まり、その後は整理券が配られて約40分後に呼び出される。その整理券を受け取り損ねた客は次の整理券をもらい、さらに約40分待たされるという具合だ。


東京へ戻ってから知った蘊蓄だが、なんでもウバメガシの黒炭を使って注文が入ってからウナギを焼くそうで、当然ながらタレは秘伝とのこと。なるほど、どうりでウナギの風味が良かったわけだ。しかもタレでベットリとなっているわけでもなく、白身はふっくらとしており皮は端がパリッと歯ごたえがある。口に入れた瞬間に気が遠くなってしまいそうだった。続いて薬味の刻みネギを載せて食せばシャキシャキとした触感とかみしめた瞬間に広がるネギの旨味がウナギとご飯と混ぜ合わさり、絶妙な味わいとなる。最後にだし汁を掛けてサッパリとした味を存分に堪能した。わざわざ蘊蓄を聞かされなくとも味は雄弁にその秀逸さを物語っているのである。


完食するまで30分とは掛かるまい。1分1秒が至福の時である。もっともっと食べたい欲求に駆られるが深追いは禁物。幸せな気分のまま店を後にした。あれから数日が過ぎたが、いまだにあの味が脳細胞に記憶として深く刻まれているのを感じる。それは恋にも似ている。次に帰郷する際まで、その想いは大事に取っておき、やはり東京では別のひつまぶしを口にはしたくはないものである。皆さんも三重による用事があれば訪ねてみるとよい。あるいは何がしかの用事を口実に、初音への旅に出てみるのもドラマティックではないだろうか。


# by roadsign-ktb5 | 2012-05-02 16:58 | FOOD & DRINK | Comments(10)
2012年 04月 23日
JOINTS RUN 2012
カスタムショー・イヴェントの楽しさは、イヴェント自体や普段行けない遠方のショップのプロダクトを直接買えたりすることだけじゃなく、道中や会場でのバイカー同士の出会い。そしてバイクで走るという行為そのもの。いや、むしろそっちの比重が高いものなのかも。


新東名で出会ったJINさん。やっぱりJOINTSを目指して、雨の降る前に現地入りしようと横浜から参戦してきたそうだ。聞けば以前取材でお世話になった方の友達。縁とは不思議なものなのだ。


本当は雨が降ったら途中でUターンでもしようと思っていたぐらいだったのだが、彼と一緒に走ることでネガな旅がFan RIDEにガラッと変わった。

一番乗り(笑)。


出会いはそれだけじゃ終わらなかった。JINさんを介してTさん、Iさん、Yさん、Hさんとツリーが広がり、帰路は激しい雨の中、5人のチョップドH.D.のパーティが出来上がっていた。

そう、まさにJOINTS。これだからイヴェント巡りはやめられないのだ。

# by roadsign-ktb5 | 2012-04-23 22:45 | ON THE ROAD | Comments(4)
2012年 03月 26日
Bandit dead ahead!!
16年前、英国はダックスフォード飛行場へ、社員研修と称して行った。目的はカタログ撮影と、僕らが手掛けているフライトジャケットの復刻をより理解するため第2次大戦時のウォーバードたちが空を舞うエアショーの見学、そして体験飛行という途方もないプロジェクトのためだ。

本当はエアショーの翌日にB-25ミッチェルに搭乗する予定だったのだが、なんとエアショーの最中にそのパイロットがP-38ライトニングのディスプレイフライトに失敗し、死亡してしまった。Left Wingが地面に接触した瞬間、開けた飛行場に聞こえた「ボムッ」という爆発音。そしてあっというまに火だるまになったまま、滑走路を滑る残骸。惨事は目の前で起きた。まるで大戦当時の映像を見ているかのような光景は会場にいた人々を驚愕させ、そして恐怖させた。下はその時の映像(閲覧注意)。

驚いたのが、そこでエアショーが中止されると思いきや、アナウンスは「彼のためにも続行します』と告げたことだった。元英国空軍のパイロット。空に生き、空に散った男への弔いはやはり飛ぶことなのか。

当然のことながら、翌日は事故調査のために空港は閉鎖され、体験飛行も中止になるかと思われた。しかしその事故が僕らに、また恐ろしくも貴重な体験へと導いた。それはB-25に代わって大戦当時、最速にして最強の戦闘機と謳われたP51マスタングへ搭乗するというミッションだった。人が死んだのにもかかわらず飛行する。しかも戦闘機……。その予定を告げられたショックを咀嚼できぬまま僕らは、空港閉鎖を受けて急きょ、ロンドンで休暇を取ることになった。当時の若き飛行士たちが死を目前にしたかの時代、ほんのわずかな休暇をこうして人間らしく生きていられることの幸せをかみしめ、そしてまた敵機と渡り合う日常へと戻っていった心境は幾ばくか。サヴィルロウのショーウィンドウを眺めながら、彼らの想いとシンクロしている自分に気付く。

そしてその翌日。黒焦げになったP38の残骸はまだそこにあった。そして目の前にノーズをチェッカーフラッグに塗装したP-51“Big Beautiful Doll”が僕らを無言で待っている。そしてその前に佇むグレーのフライトスーツを着た男がマーク・ハンナだった。RAF(英国王室空軍)のパイロットとして活躍した後、ディスプレイフライトの第一人者として知られる実父のレイ・ハンナとともに、スピルバーグの映画「太陽の帝国」、「プライヴェート・ライアン」でP-51を操った男。


「昨日の事故は悲惨だったね。だから今日は大人しく飛ぶよ」と言いながら、複座にモデファイしたP-51に代わる代わる僕らスタッフを乗せて飛んでは着地するを繰り返す。こうして遂に僕の番となった。「高所&スピード恐怖症だからお手柔らかにしてくれよ」と震えながら言う僕に「もちろんさ」とウィンクするマーク。ガッチリと固定されたシートベルト。シートはパラシュートを兼ねたクッション。視線を機体の内側に這わせると、コクピットで何かの作業をするたびに剥き出しのワイヤーが前後に動く。

カメラを準備する僕にマークが振り返り、親指を立てる。それに応えるように僕も親指を立てると今まで静かに回っていたプロペラが回転数を上げる。それに吸い込まれるように滑走路の芝がこちらに振り掛る。マークがキャノピーを手動で閉めると意外なほど静かになったのを覚えている。そしてもう一度サムアップのやりとり。エンジンの回転音が上がり、機体が芝生の滑走路の凹凸を拾いながら前へ進み出した。

「This is it!!」。轟音を立てて揺れながら滑走路を走るP-51の振動が消えた。鷹は飛び立ったのだ。その刹那、機体は勢いよく左に傾いで左旋回。もうすでに地上は遥か下で、眼下にはのどかな田園の広がる。映画で観た光景が今、現実として繰り広げられている。それは恐怖を超えて、僕を興奮させた。


さらにマークが振り向き、右手の人差し指をクルクル回す。つまり宙返りをするぞという合図だ。手のひらで首を切るような仕草で「やめてくれ~!」と合図を送ってもニヤリとするだけで、最初から聞くつもりはないのは解っていた。目の前の風景が真っ青になった。そして真正面に太陽が見え、陸地と空の景色が上下逆になった。いつしか僕は目の前にいるはずのない敵機を追うファイターパイロットの気分になっていた。


そして今度は目の前の景色が地面だけになったと同時に、背骨を折らんばかりの強烈なGが上から圧し掛かり、カメラを持つ手すら勝手に下がっていく。後に聞いたところによれば、その時に掛っていた重力は5G。スピードは約700km/hとのこと。風圧ではなく重力で顔の皮が後ろに引っ張られるほどだ。


さらに回転しながらまっすぐ飛ぶループ飛行を体験し、気付けば地面に映る機体には格納式の車輪が出ているのが見えた。ようやく地上に降り立ったP-51。すべてのハーネスを解いてもらい、震える足で柔らかい草地に下りた僕はカッコつけでもなく、本当にごく自然に、地面にキスをした。これが本物のフライトジャケットを着てドイツ軍と生死を賭けて戦った男たちの心境だったのか。もちろん1996年の空には敵機の姿はないわけだから、本当に彼らの経験には到底足元に及ぶはずがない。それでもその一端を少しは理解できたと思う。とかくディテールや革の質感などの追求に終始してしまいがちな復刻モノ。それだけでは語り尽くせない言霊が本物のフライトジャケットに込められているのだということを窺い知ることができた貴重な経験だった。



あの狂騒から数年後、僕らの耳に悲しい知らせが届いた。マーク・ハンナがスペインのエアショーのために、メッサ―シュミットを自走で搬入する際、着陸に失敗して帰らぬ人となってしまったというのである。僕の記憶に残るあのニヤけた笑顔。そしてタフな背中を捉えた写真だけが残った。


# by roadsign-ktb5 | 2012-03-26 23:35 | ON THE ROAD | Comments(6)
2012年 03月 10日
UNFORGETTABLE BOOTS
何度も机に突っ伏しながらも、レッドブルとペプシで乗り越えた渾身の作……。本日書店発売と相成った(まだ観てないけど)。


 この本の企画をいただいた時、久々に古い箱を開けた。それは今から24年前に、手に入れたブーツ。

 僕のブーツ遍歴は高校に進学する直前から始まった。そのスタート地点にあったのがウエスタンブーツで、ファッションアイコンは松田優作。赤みの強い茶色のレザー・テーラードジャケットに5ポケット、その足元に輝いていたのが茶色のウエスタンブーツだった。そのブーツの中からライフルスコープやらジャックナイフやらを取り出す仕草にメロメロだった。さっそく近所の丸井(!)でジャケットと、それらしい色の5ポケットジーンズは手に入れることができた。ところがブーツだけは優作のそれとは違って、アンクル丈のサイドジッパー。少しでも足を組めば裾から真っ白いソックスとアーノルド・パーマーの刺繍ロゴが覗いてしまい、落ち着いていられなかった(笑)。

 しばらく我慢していたけれど、気付けばアメ横の靴屋という靴屋を徘徊していた。けれどどの店へ行ってもトニー・ラマで、価格も3万8000円(だったと記憶している)。バイト禁止の高校生がポンと買える金額じゃなかった。それでも諦めずに探し回ると、ミッドレングスのサイドジッパーを春日通り沿いの靴屋で発見! 色もカタチも満足だし、シャフトが少しでも長くなったことは、あのカラフルな傘のマークがチラチラ見える心配からの解放を意味していた。日本製で価格は1万6000円くらいだったか。ところが今にして思えばシャンクのボンド付けが甘かったのだろう、歩くたびに粘着力を中途半端に欠いたシャンクがペタッ、ペタッと足の裏をノックする。買った靴屋にその症状を説明しても、文字どおり足元を見られているのか「いや、全然普通ですが」と軽くあしらわれた。

 そうしたストレスの一切からようやく完全なる解放を得たのが18歳。大学の入学を控えた春休みの時で、親戚が子供を連れてハワイに行くので、子守りがてら便乗した時だった。アラモアナショッピングセンターの1階「パニオロ・トレーディング」というカウボーイグッズのショップでコイツに出逢った。





 アメ横のトニー・ラマしか知らなかった僕の耳朶をくすぐったのが聞き慣れない『NOCONA(ノコナ)』というブランド。今でこそインターネットにその文字を打ち込めば、素敵なウェブサイトが開けてその創業が1925年で、かのジャスティン一族によるものだと分かる。そんな出自を当時はまったく知らず、ただただフルレングスのシャフトで全体がブラウンというパーフェクトなデザインに、完全に狙いが定まった。しかも箱は写実的なイラストで腕っ節が強く女に優しい、理想のカウボーイの冒険劇がブーツを中心に描かれているのだ。既にその美しい箱は消失してしまったが、いまだにそのイラストがNOCONAのHPで手に入ることに感動してしまった。


 ちなみに、このパニオロ・トレーディングではその後も世話になり、ウエスタンブーツを他に3足と乗馬用のスパー、ラフアウトのフリンジ・ジャケット、ラングラーのウエスタンシャツなんかを手に入れたが、今も僕の手元にあるのは一番最初に手に入れたコイツだけ。何しろ念願のウエスタンブーツ、しかも本物のカウボーイが履く、本物のブーツ第1号だ。日本では誰も履いていないという優越感も手伝って、学生時代は鬼のヘビロテで履いていた。しかもメンテナンス術など知る術もなく、ヒール交換を引き受けてくれる靴屋など皆無だった。履きっぱなしの歳月を重ねた結果、左足の小指の付け根が当たる部分が縦にサックリと切れてしまった。



 何度も捨てようと思ったけれど、思い出深い1足であるし、この元気なシャフトのコンディションを考えると簡単に捨てることなどできるわけもない。いっそ、本国にコンタクトを取ってリビルドの相談でもしてみようかと悶々としならがら、今も部屋のオブジェとしてグラマラスな裸体を愉しむ日々が続いている、今日この頃なのだ。



# by roadsign-ktb5 | 2012-03-10 01:03 | FOOTWEAR | Comments(11)


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